神とは何か? 天皇は神なのか? わかりやすく簡単に解説

皆さんは「神」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?

人によっては、長い杖を持った白い服の老人を想像するかもしれませんし、特定の宗教の神を思い浮かべるかもしれません。また、まったくその存在自体を否定していたり、そんな質問をされること自体に気持ち悪さを感じたりと、様々かと思います。

このページでは、そんな「神」について、日本の神と世界の神の違いや、宗教別の神の考え方、神の分類などを広く見ていくことで理解が進むよう、わかりやすく解説してきます。

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神はGodではない

唐突ですが、まず「神」「God」の違いから説明しましょう。

日本では明治以降、英語の「God」の訳語に「神」の単語を与えてきました。

それ以前から日本では、「神」という言葉は使われてきていたわけですが、近代化した明治時代以降に「God」の解釈と混同することになりました。

これは、実のところかなり意味のかけ離れた「誤訳」と言わざるを得ないことなのです。

そして、その誤訳が、我々現代の日本人に「神」についての誤った認識、混乱した認識を与えてきたのです。

では、神とGodは何がどう違うのでしょうか。

まずはそこから見てみましょう。

「God」というのは、この世のあらゆるものの生みの親=創造主を表す英単語です。

これは、一神教特有の「神」の定義であり、彼らの信じる「神」は唯一絶対的な存在というのが大きな特徴で、他の「神」の存在を認めません。

一神教の宗教としては、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教が代表的です。

彼らは歴史的に宗教対立を繰り返していますが、それはひとえにこの認識の強さによるものといえます。

かたや、日本の「神」は、典型的な多神教の神であり、万物のあらゆるものに神を見出すのが特徴です。

神の総称として八百万の神(やおよろずのかみ)という呼び方がありますが、これは、八百万という具体的な数字(神様の数)を表しているのではなく、「際限なく」、「無数に」、「無限に」という意味で、あらゆるものが神だ、という意味でもあるのです。

この考え方は、正体不明のもの、突き詰めるとなんだかわからないものの存在を畏怖し、崇め、尊重するというものの見方、感じ方に端を発しています。

そのため、自然との関係としては融和的で、人間を自然の一部とも考えます。

多神教には日本の神道のほか、仏教、道教、ヒンドゥー教などがあり、ギリシャ神話やケルト神話なども多神教の物語です。

「神」と「God」には以上のように大きな違いがあります。

そして、上述の通り、この二つの違いは世界で信仰されている「神」の、大きな二分類でもあります。

世界で解釈されている「神」は、概ね以上のどちらかに属します。

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日本の神(神道の神)

さて、日本では古くから、天皇は神とされてきました。(現人神)

これを「天皇はGodである」ととらえるか、古来から認識されてきた通りの意味で「天皇は神である」ととらえるかは非常に大きな違いです。前者ではすべての創造主という意味になってしまうからです。

「天皇は神」だというのは、つまり、ただ単に、天皇は自然と人間をつなぐ偉大な存在であるというほどの意味なのであって、万物の生みの親が天皇であるという意味では決してないのです。

また、そういった意味では、国民一人一人も神だし、犬や猫も神だし、水や空気も神なのです。

そこをあえて「天皇は神」というのは、ただ自然と人間のつながりの偉大さ、重大さを強調しているだけなのです。

一神教でも多神教でも、共通しているのは神は「偉大だ」ということですが、何を偉大と捉えるのかが全く違うということです。

日本人は農耕民族なので、自然との繋がりを強く意識してきたため、その繋がりの象徴として認識されていたのが天皇だったといえます。

ですから、天皇の主要なお役目は今も昔も、五穀豊穣など、国民と国家の幸福を祈る祭祀なのです。祭祀というのは、自然界と人間界のつながりを確認するための儀式のようなものなのです。

この認識は、明治以降にGodが神と訳されてから混乱をきたし、なにやら天皇が一神教的な唯一絶対の神として崇拝されるようになり、それが戦争の大義名分として利用されたようなきらいがありました。

が、それらの認識は、西洋文化を受け入れなければならず、世界を席巻した帝国主義戦争の時代、国難を乗り切る際に生じた誤りだということになります。

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一神教の神の特徴

一神教の中には、自分の信仰する神以外の神の存在も認め、数ある神の中でその特定の神を選び信仰すべきとする単一神教というものもありますが、ここで解説する一神教は、他の神の存在は認めないという絶対的に唯一の神を信仰するタイプです。

具体的に言うと、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教です。

これらの宗教は、唯一絶対の存在である神を信仰する点では共通しています。ですから、これらの宗教は同一の「絶対的な神」を信仰していると考えることもできるのです。

つまり、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の違いは、その「絶対的な神」の解釈や捉え方、「絶対的な神」に対する人間の取るべき態度の違いなど、表面的な相違でしかないとも考えられるわけです。

簡単に言うと、この世のことをすべてお見通しな全知全能の存在がいて、人間がその存在にどう対峙するのが正しいのかという解釈の違いが、これらの宗教の違いに表れている、というニュアンスです。

ただし、これについても諸説あって、各宗教、各宗派ごとにも考えられ方が違っていることを先にお断りしておきます。

では各一神教の神について見てみましょう。

キリスト教の神:三位一体

キリスト教の神は、イエス・キリストだと考えられがちですが、これは正解のようで不正解です。

正解は、「父」と「子」と「聖霊」の3つが「一体」の「神(God)」として理解されています。これを三位一体(さんみいったい)と言います。イエス・キリストは、「父」「子」「聖霊」のうちの「子」に当たります。

ここで難解なところは、「父」「子」「聖霊」の3神が存在するのではなく、あくまでもこの3つが「1体の神」「唯一の神」とされるところです。一つの神に三つの位格があるとされているのです。

この3つの関係については非常に難解で、いくつもの説がありますが、最終的には理屈を抜きにして信じること、それが信仰だ、といったような解釈に落ち着きます。

また、キリスト教はユダヤ教をルーツに持つ宗教であるため、後述するユダヤ教の神であるヤハウェ(エホバ)も唯一絶対神として認識されますが、ヤハウェは三位のうちの「父」のことだとされたり「子」であるイエス・キリストのことだとされたりと、解釈が分かれています。

イスラム教の神:アッラー(アッラーフ)

イスラム教では、神のことをアッラー(もしくはアッラーフ)と呼びます。

アッラーの大きな特徴は、時間と空間を超越した存在であることから姿形を持たない存在であるため、彫像や絵画などの形に表すことが禁止されている点です。

「時間と空間を超越した存在」の名前が「アッラー」なのではなく、「God」と同様、「アッラー」も「絶対的な神」を指し示している単語だというわけです。

イスラム教では偶像崇拝を禁止しているのですから、当然、「絶対的な神」に名前を与えることすら許されないのです。

イスラム教の聖典・コーラン(クルアーン)は、ムハンマドという予言者が、アッラーから派遣された大天使・ガブリエルによって託された教えをアラビア語で語ったものであるとされています。

また、アッラーは、後述するユダヤ教のヤハウェと同じものだという解釈もあります。

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ユダヤ教の神:ヤハウェ(エホバ)

ユダヤ教は、キリスト教とイスラム教よりも古くからある宗教であり、上述したようにキリスト教とユダヤ教に強い影響を与えています。ある意味で言えば、一神教の源流はユダヤ教であるとも言え、その信仰の対象であるヤハウェもまた、一神教の「絶対的な神」の源流であるということもできます。

その「絶対的な神」とされるところのヤハウェは、さまざまな名で呼ばれています。

代表的なものを挙げると、神聖四文字、テトラグラマトン、イスラエルの神、救主、万軍の神、偽りのない神、全能者などです。

ちなみに、ヤハウェも、「我が主」といったような意味合いでしかなく、日本語訳としては多くの場合「主」が与えられます。

このような、ちょっと回りくどい間接的な名前で呼ばれることの多いヤハウェですが、これは、これはヤハウェが非常に厳格で容赦のない存在とされていて、安易に名前を口にはできないほどの畏怖の対象とされてきたためです。

その存在はとにかく謎に包まれていて、「これこれこういう存在」と言葉で表すことができません。そのため、さまざまな解釈がなされた結果、キリスト教やイスラム教のような解釈が生まれ、各宗教に別れたと考えることもできます。

つまりヤハウェの説明としては、「この世の創造主」、「万物の産みの親」であるということに尽きるのです。

そして、そのような存在が何なのか、どういう存在なのかを知りたい人が、これらの一神教に入信してその存在について学ぶものであると言うことができるでしょう。

ただし、それらの宗教を学んでも、最終的には(というかかなり早い段階で)「ただひたすら神を信じるしかない」ということになるのが一神教の特徴だということになります。

もちろん以上のような「絶対的な神」の解釈には諸説あります。が、一つ言えることは、ヤハウェという存在、もしくは一神教が信じるところの「絶対的な神」というのは、その人間が生涯を通して一途に信じ抜き、自分の生き方の指針とするような強烈な存在だということです。

その点でいえば、そこまでシリアスな存在ではなく、もっと肩に力を入れずに信仰できるのが多神教の神々だとも言えます。

では次に多神教の神々の特徴についてみてみましょう。

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多神教の神の特徴

多神教の神々の特徴は、一神教の神に比べてつかみどころがなく、寛容で、一神教の神も取り込んでしまうような懐の深さがありますが、その反面、多種多様な神が存在することからやや権威性に欠けるという特徴があります。

また、他の宗教を否定しないことから、人による受け止め方や信仰の仕方がきわめて自由で、一神教の神のような厳格さがないのも特徴でしょう。

それから、過去の偉人が神格化するケースも見られます。

神道の神

神道の神々は、基本的に『古事記』と『日本書紀』に登場する神々です。

『古事記』によると、まず天と地が分かれ、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カムムスビノカミ)、宇摩志阿斯詞備比古遲神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)、天之常立神(アメノトコタチノカミ)、伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)の七神が生まれます。

そして、イザナギとイザナミが、まだ混沌としていて形を成していない大地を矛でかき回し、矛を引き抜いた際に滴ったオノコロジマ(日本列島の元になる島)に天下り、そこで結婚して次々に自然物や自然現象である神を生みます。

その後、イザナミが火の神であるカグツチノカミを生んだ際にやけどをして死んでしまい、イザナギが黄泉の国(あの世)にイザナミに会いにいきますが、「私の姿を見ては行けない」とイザナミにいわれたのにもかかわらず姿を見てしまったイザナギはその姿の醜さに驚いて黄泉の国から脱出します。

イザナギは黄泉の国から帰ると、汚れた体を洗い流しますが、左目を洗った際に天照大神(太陽)が、右目を洗った際に月読命(月)が、鼻を洗った際に須佐之男命が生まれることになります。

このように、『古事記』や『日本書紀』に登場する神々が、神社に祀られている神の大半を占めており、有名な天皇や傑出した人物などが神格化され、神となったものもみられます。


<主な神道の神>

天照大神(アマテラスオオミカミ):太陽神である女神。日本人の総氏神とされている。天皇は天照大神の直系の子孫とされている。

伊邪那岐命(イザナギノミコト)伊邪那美命(イザナミノミコト:天照大神の親神であり、天地開闢後、日本列島に天下り、あらゆる自然を生み出した男女の神。

須佐之男命(スサノオノミコト):天照大神の弟。出雲に天下り八岐大蛇<ヤマタノオロチ>を成敗した際に草薙剣を手に入れた。それが天皇の三種の神器として現在も伝わっている。

仏教の神

仏教は特殊な宗教で、厳密に言えば「神」という言葉は使われません。如来菩薩等という存在がいちおう信仰の対象となっていますが、これらは神ではないのです。

ではなんなのでしょうか?

仏教にはそもそも信仰の対象はありませんでした。

仏教の祖である釈迦(仏陀)は、悟りを開いたことで有名ですが、そもそも仏教というのは種々の修行(座禅や苦行、荒業等)を行うことで悟りを開くことや輪廻から抜け出す(解脱する)ことを目的としたものでした。

それが、時代が下るにつれて、仏陀をはじめ、様々な経典に登場する過去に悟りを開いた登場人物が神格化され、仏や如来、菩薩等として信仰の対象となり広まりました。

日本では特に、上述した神道との融合(神仏習合)で独自の発展を遂げていて、諸外国の仏教とは一線を画するものとなっています。

ですから、現在でも仏教を、悟りを開くためのテクニックとして受け止めて修行に励む人もいれば、仏像を拝み、お経を唱えることで信仰(帰依)する人もいて、それら両方が共存する宗教としてなんとなく世間一般に受け止められています。


<主な仏教の仏>

■釈迦(仏陀・釈迦如来):仏教の開祖で、紀元前5世紀頃に実在した人物。数々の修行の後、悟りを開いた。自ら教祖となったのではなく、弟子をはじめとする後世の人々に神格化された。本名はゴータマ・シッダールタ。

■阿弥陀如来(阿弥陀仏):「量しれない光を持つ者」とされ、西方の極楽浄土の主とされている。

■観音菩薩(観世音菩薩):「観音さま」の名称で知られる菩薩。大慈大悲をもって一切衆生のくを取り除く存在とされており、日本では全国各地で広く信仰の対象となっている。

■地蔵菩薩:「お地蔵さま」の愛称で知られる。日本では子供の守り神とされており、路傍に設置された道祖神として各地の路上で見かけることができる。

■大日如来:真言密教の最高仏であり、神仏習合思想によれば、神道の天照大神と同一視される存在である。

ヒンドゥー教の神

インドの伝統的な民族宗教であるヒンドゥー教ですが、インド神話の登場する神々が主な信仰の対象となっています。

ヒンドゥー教という名称は、ヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーの三大神(トリムルティ)をそれぞれ最高神として信仰する複数の宗派の総称です。

インドでは、仏教はヒンドゥーの分派であると考えられていて、釈迦もヒンドゥー教の神(ヴィシュヌ神の化身)として数えられています。

他にも仏教の如来や菩薩の多くもヒンドゥーの神に含まれています。

・アートマンとブラフマン

ヒンドゥー教には「アートマン」と「ブラフマン」という考え方があります。

アートマンとは、人間の意識の最深部にある源、自己の内側の中核にあるものをいい、ブラフマンとは、自己の外に広がる世界・宇宙の根本原理、究極の現実をいいます。

そして、この2つは同一のものであり、等しい価値を持つものとされます。

ヒンドゥーの神は、すべてブラフマンから湧き出たものとされ、三大神は1つの神であるともみなされています。(三神一体)


<主なヒンドゥー教の神>

■ヴィシュヌ神:世界を維持する神。化身としては、釈迦、クリシュナ、ラクシュミなどがいる。

■シヴァ神:想像と破壊を司る神。慈悲深さと無慈悲さをあわせ持つとされている。

■ブラフマー神:すべての創造主とされる神。4つの顔を持ち、四方を見つめている。ブラフマンそのものを表わす神。

ギリシャ神話の神

最後にギリシャ神話の神をご紹介しましょう。

■カオス:「混沌」と解されることがあるが、「空隙」「からの空間」が正しく、無限を意味する原初の神。

■ガイア:カオスの次に生まれる大地であり、女神とされる。

■エロース:生殖に重要な愛を意味する神。恋心と性愛を司る神。

ウーラノス:ガイアの息子であり、夫でもあるという天空の神。

クロノス:ウーラノスとガイアの息子である大地と農耕の神。

■ゼウス:クロノスの子であり、全知全能の神とされる。多神教のなかにあって一神教的な唯一絶対の存在。ギリシア神話の主神。

■ヘーラー:ゼウスの妻で、結婚や母性を司る神。ギリシア神話で最高位の女神。

ポセイドーン:ゼウスに次ぐ強さを持つ神。海と地震を司り、怒ると強大な地震を起こしすべてを破壊する。

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まとめ

以上のように、神とはおおまかに一神教の神と、多神教の神に別れ、それぞれさまざまな考え方、解釈の仕方によって信仰されているということになります。

この記事をきっかけに、「神」という存在への理解が少しでも深まれば幸いです。

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