事大主義とは?韓国は事大主義なのか?わかりやすく簡単に解説

事大主義とは?

事大主義(じだいしゅぎ)とは、国家が、自国よりも大きな国との関係を考えるうえでのスタンス、考え方の一つで、事大とは、「強大な国の影響下に入り、その国の力を借りること」を意味します。

語源は、『孟子』の「以小事大(小をもって大に事える(つかえる))」からで、当初は、小さな国が大きな国と戦略的に付き合う、賢い外交テクニックのように用いられた言葉でした。

が、主に中国王朝が敷いた厳しい冊封体制のもと、周辺の小さな国々の「属国としての独立志向を欠いたスタンス」を示す言葉となり、外交テクニックというよりも、属国に甘んじる卑屈な精神性を表す言葉になりました。

冊封体制とは、中国王朝が周辺の小国を、利益を吸い上げる対象として乱暴にあつかい、定期的に朝貢(貢物を献上すること)を行わせて、徹底的な主従関係を築くことで自国の勢力圏を維持した体制のことを言います。

その体制が周辺の国々に与えた精神的な圧力が、事大主義という言葉の意味を歪ませて、「独立自存ではなく、大国に依存して、こびへつらうことを良しとする考え方」に意味合いを変質させたわけです。

ちなみに、事大主義的な考え方や振る舞いをすることを「事大する(じだいする)」といい、例えば、中国に依存しようとする場合であれば、「中国に事大する」という言い方をします。

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韓国と事大主義

以上のように、事大主義は中国王朝の周辺国で顕著に見られた考え方でしたが、とくに有名なのは朝鮮半島を14世紀から500年ほど支配した李氏朝鮮です。

李氏朝鮮は、建国当初はの、1600年代中頃からはの属国として、「小中華」を辞任するほどに事大しました。

まず、この王朝の建国のきっかけが事大主義でした。

李氏朝鮮の前の朝鮮半島の統一王朝だった高麗は、わりと事大主義を戦略的に使って明をはじめとする中国王朝と距離を置くことができた王朝でした。

が、その高麗の李成桂という武将がある時、主君を裏切り、明の力を借りて高麗を滅ぼしたことから興ったのが李氏朝鮮という国だったのです。つまり、李氏朝鮮という国は明への事大からはじまったというわけです。

また、その李氏朝鮮は、末期の19世紀後半になって、それまで長年事大してきた清の勢力が急激に弱まることで混乱に陥ります。

近隣では、日本が近代化して日清戦争で清に勝利、ロシア帝国が朝鮮半島のすぐ北にまで南下し、アメリカからも圧力をかけられると、次々に事大先をコロコロと変えて、結局日本と条約を結んで併合される道を選びました。(1910年・韓国併合(日韓併合))

この当時の李氏朝鮮(日清戦争後に独立が許され大韓帝国(韓国)と国号を変更)の事大主義は、現代では戦略的であったと肯定的に捉えられることもあれば、自存の道を選べず優柔不断で卑屈であったと否定的に捉えられることもあります。

が、いずれにしても李氏朝鮮という国は、世界史上、事大主義の国の代表例とみなされています。

また、そんな李氏朝鮮時代500年間の事大主義の精神性が、現代の韓国や北朝鮮にも引き継がれているという見方もあります。

この両国は、アメリカや日本、ロシアや中国の影響下にあって、それらの事大先の国の意向に左右されることが多く、その状況から抜け出せていないのはその時代の精神性を未だに引きずっているからだ、というわけです。

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日本と事大主義

日本においては、はるか昔は、倭国として中華王朝に戦略的に事大していた時代がありました。

が、中華王朝への朝貢をやめて、天皇が自らを「天皇」と名乗りはじめたことで、冊封体制から離脱し、それ以後は完全に独立自存の国として存在するようになりました。

「天皇」とは、中国王朝への対抗意識からつけられたものであり、「皇帝」よりも上の位であるという意味合いもあります。

つまり、「天皇」という名は、そのような中国王朝の冊封体制の影響が及ぶ地域にありながらも、卑屈な属国にはならず、独立自存を保ち続けるという、事大主義とは正反対の意識のあらわれでもあるのです。

また、日本国内での勢力の力関係としては、戦国時代に、戦略的に事大主義が取られることもありました。

その代表例は、徳川家康です。

徳川家康は、織田信長の存命中は織田家と同盟を結んで、織田家の家臣ではないものの信長の右腕として密接に連携して立ち回りました。

そんな徳川家康がのちに、天下を統一して江戸幕府を開くに至るのですから、事大主義を戦略的に賢く使った好事例だと言えるでしょう。

また、明治維新後の日本は事大主義とは縁遠く、近代化の決断をして独立志向を保ち、欧米列強と渡り合いました。

しかしながら、第二次世界大戦に敗北して以降は、アメリカによって憲法に9条を盛り込まれて軍備を放棄させられ、日本列島各地に米軍基地を作られることで、国防を米軍任せにする体制が敷かれました。

また、アメリカの「核の傘」に守られているという安心感も、戦後日本国民の間には広く持たれています。

これらの戦後日本人の意識は、いずれもアメリカ依存の事大主義に他なりません。

このような事大主義は、戦略的なものではありません。

一部には、日本国民の意識が独立自存を諦めた卑屈な精神性に堕していくことについて、もっと警戒すべきだとする意見もあります。

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