新天皇は?
平成三十一年四月三十日における天皇の譲位(退位)で、翌日から新天皇に即位されたのは、元皇太子の徳仁(なるひと)天皇陛下です。別名を浩宮(ひろのみや)殿下とおっしゃいました。
新天皇陛下は、昭和35年(1960年)2月23日生まれです。ですので、令和の天皇誕生日は2月23日ということになります。
wikipediaより
徳仁天皇陛下は、皇太子時代には皇居には住んでおられず、赤坂御用地内の東宮御所(とうぐうごしょ)というところに雅子妃と愛子内親王とともにお住まいでした。天皇陛下に即位されてから皇居に移られたことになります。
東宮御所というのは代々皇太子がお住まいになる居所で、前の天皇も天皇即位以前にはここに住んでおられました。
ちなみに、新皇后陛下になられたのは雅子妃で、雅子皇后陛下の敬称で呼ばれることになりました。
さて、当然のことながら、新天皇・徳仁陛下は前の天皇のご子息です。が、新天皇陛下として即位されて以後は、皇位継承順位1位になるのは天皇の子である愛子様、ではなく、弟の秋篠宮殿下です。
このことが、皇太子の座を巡ってちょっとした問題を生じることになるのですが、次はその問題をみてみることにしましょう。
→天皇は偉いのか?何が尊いのか?子供にも説明できるように解説
新皇太子(次の天皇)は誰?
では、浩宮殿下が新天皇になられた後、次に皇太子になる方は誰なのか?という疑問について答えましょう。
結論からいうと、皇太子は空位・不在になります。
皇位継承順位は、新天皇陛下の弟である、秋篠宮(あきしののみや)文仁親王(ふみひとしんのう)殿下が2位から1位に繰り上がりますが、皇太子とは、「天皇の子」という意味なので、新天皇の弟宮である秋篠宮殿下は「皇太子」ではないのです。
wikipediaより
そのため、厳密に言えば新天皇の即位により、皇位継承第1位の方を「皇太子」とは呼ばなくなった(呼べなくなった)わけです。
では、新天皇即位後の秋篠宮殿下はなんと呼ばれるのか、というと、「皇嗣(こうし)」と呼ばれ、秋篠宮皇嗣殿下、皇嗣秋篠宮殿下、もしくは単に皇嗣殿下という敬称で呼ばれることになりました。
「皇嗣」とは、単に「天皇の跡継ぎ(皇位継承順位1位の皇族)」という意味ですので、皇太子から「天皇の子」という意味を除いたような意味合いになるわけです。
ですから、新天皇即位後は、皇太子という敬称で呼ばれる方が不在になるということになります。
さらにいえば、令和の最中は、雅子皇后陛下に男の子が生まれない限り皇太子は不在になりますが、その後秋篠宮殿下が天皇になられた際には、秋篠宮殿下の第一皇子でである悠仁親王(ひさひとしんのう)殿下が皇太子となります。
ですから、次の皇太子は悠仁親王殿下だと言えるかもしれません。
愛子様を皇太子とすることはあるのか
皇太子の条件として、「天皇の子」である必要があると上述しましたが、その条件に当てはまるのは愛子内親王しかいません。
では、愛子様を皇太子にすることはあるのか?皇太子と呼ばないのか?という点について解説しましょう。
結論からいますと、愛子様は皇太子にはなれません。
現状の皇室典範では、皇太子は皇嗣(跡継ぎ)でなければならず、皇位継承順位が1位でなければならないからです。
ですから、愛子様を皇太子にするには、愛子様が皇位継承順位1位にになるような皇室典範の改正が必要で、それは女系天皇、女帝を認めるということになります。
他方、愛子様を皇太子とする方法としてもう一つ方法があります。
それは、皇室典範を改正して、皇太子の定義を変えることです。
つまり、皇太子は天皇の子であれば「皇嗣でなくても良い」というふうに変えるわけです。
こうすれば、天皇の子であれば女性でも皇太子ということになります。
また、皇太子は「天皇の子でなくての良い」というふうに改正すれば、秋篠宮殿下が皇太子になることも可能になります。
ただし、皇太子の字義が「天皇の子」という意味になっていますので、天皇の弟である秋篠宮殿下が名乗るにはやはり違和感が拭えません。
また、江戸時代以前には、皇位継承順位1位が天皇の弟になるような場合には、皇太弟(こうたいてい)という呼称がしばしばもちいられてましたが、この「皇太弟」の定めが現在の皇室典範にはないのです。
皇室典範を定めた明治時代には、このような事態を想定していなかったのでしょう。
なので、皇太弟の規定を皇室典範に加えることで、今回生じるであろう様々な問題を回避するのではないかという説もあります。