天皇とは何か? 子供にも説明できるように簡単にわかりやすく解説

何かの拍子に、「そもそも天皇って何?」という疑問を持つことは日本で生活している我々であればそれほど珍しいことではないでしょう。

しかし、信条的にデリケートな問題なだけになかなか人には聞けなかったり、基本的なことすぎて今更人には聞けないという方も多いと思います。

また、天皇陛下が譲位(退位)されることになり、改めて疑問を持った方もいるかもしれません。

そこでこのページでは、「天皇」についての知識を再確認して頂き、子供にも説明できるようにまとめてみたいと思います。

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天皇とは何か?

現在の天皇陛下のことを今上天皇陛下(きんじょうてんのうへいか)と呼びますが、今上天皇陛下は、125代目の天皇になります。

初代の天皇・神武天皇(じんむてんのう)『古事記』に登場し、天照大神(アマテラスオオミカミ)の子孫です。一説によると神武天皇が即位したのは2700年ほど前なのだそうです。

天照大神とは、『古事記』に登場する神の中でも最も中心的な神である、太陽神です。

ですから、今上天皇陛下もやはり、天照大神の子孫、太陽神の子孫ということになります。

■神話の話を分かりやすく

天皇を知るに当たっては、必ずと言っていいほど、「太陽神の子孫」といったような抽象的で、信じるしかない神話の話に直面し、どう解釈すればいいのかという問題と向き合うことになります。が、その解釈のヒントをひとつ挙げますと、以下のようになります。

『古事記』のなかでも、非常に抽象的な神話の世界が描かれた前半部分を「神代(かみよ)」と呼び、やや話が具体的になる後半部分を「人代(ひとよ)」と呼びます。

そして、その境目で誕生するのが、初代天皇の神武天皇ということになります。つまり、天皇が登場するところから「人の世」になるというわけです。

(神武天皇の誕生までが「神代」誕生後が「人代」と呼ばれます。)

ですから、天皇という存在は、太陽(天照大神)を中心とした「神々」と、我々「人間」の間に存在し、その2つの世界をつなぐ存在だといえます。

ここでいう「神」とは「自然」と言い換えると分かりやすいかと思います。

つまり、神武天皇は、自然界から派生したはじめての人間人間の代表のような位置づけなのです。

天皇という存在は、おおむね、日本では自然に対する「人間の代表者」として認識されてきたというわけです。

ここで重要なのは、神武天皇が天照大神の子孫だという点で、つまり、人間は自然と対立する関係ではなく、自然の一部として存在するという部分です。

■神と天皇の関係・日本人の宗教観

以上のように、天皇の解説には、必ずと言っていいほど「神」という言葉が出てきます。

「神」という言葉を聞くと、どうしても「宗教」を連想して身構えてしまいがちですが、それは正しい反応で、天皇とは日本に古来からある宗教(神道)と切っても切れない存在なのです。

よく、「天皇は神である」(現人神=人の姿で現れた神)というような言い方をすることがありますが、古来から日本では、まさに「天皇は神だ」と考えられてきました。

では、その意味をわかりやすく解説しましょう。

■天皇は神なのか?

「天皇は神だ」と言った場合の「神」とは、キリスト教やイスラム教などの一神教がいうところの「神」=万物の生みの親である創造主とは違います。

日本人が古来から言い習わしてきた「神」は、多神教の神であり、上述したように「自然」を指しています。

ですから、太陽も神だし、山や海も神だし、空も水も火も、犬も鳥も馬も、それから人間も、自然界から生まれたものは全てなのです。

先ほど見たように、天皇は自然界と人間界をつなぐ存在でした。

「天皇は神だ」とあえていうのは、その自然界と繋がっていることの重大さ、偉大さを強調しているにすぎないのです。

なぜ日本人がそのように自然を神としてあがめるのかというと、それは日本人が農耕民族だからです。

農耕民族は、自然に活かされているという意識が強く、自然を最も偉大なもの(神)としてあがめ、その自然と人間との繋がりを強く意識する傾向があります。

ですから、日本人は「天皇は神である」という認識を持つに至ったのです。

ザックリ説明すると、それが日本人の宗教観だと言え、またその宗教観の中心的な存在、中核をなす存在が天皇なのです。

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天皇の役割

天皇陛下の職務としては、一般的に、海外の国賓とお会いになったり、外国や国内各地の行事に参加されたりといったお仕事が、我々の目に触れる機会としては圧倒的に多くあります。

もちろん「日本国の象徴」としてのそれらの公務もしておられますが、そういった国事行為は「日本国の象徴」と憲法に位置付けられた戦後主に生まれた天皇陛下の役割、お仕事です。

では、天皇の元々のお仕事はどういうものだったのかというと、昔は、天皇陛下は国民と国家の安寧・繁栄、五穀豊穣などを祈る「祭祀(さいし)」が主なお仕事でした。(今もされています)

つまり、本来のお仕事はお祈りなのです。

(例:11月23日勤労感謝の日は「新嘗祭(にいなめさい)」という五穀豊穣を祈る祭祀が行われる日)

土日以外に学校や会社が休みになる「祝日」は、以前は「祝日」と呼ばれていましたが、この日はほとんどが天皇陛下が宮中で祭祀を行う日でした。(現在は祝日法の改正により祝日と宮中祭祀の日にズレが生じています)

現在では少なくなりましたが、祝日になると玄関に日の丸を掲げる家があるのはそのためです。

以上のような天皇の本来のお役目は、そもそも天皇という存在が、日本に古来からある宗教(神道)の中心的な存在だったことの現れだと言えるでしょう。

また、そのような本来のお仕事に加えて、「日本国の象徴」としての国事行為を行わなければならず、天皇陛下が多忙となったこともあり、ご高齢になった際にはそれらをすべてこなすのが困難となり、譲位(退位)という制度が生まれるに至ったわけです。

万世一系とは? なぜ女系天皇はダメなのか?

天皇の大きな特徴として、万世一系(ばんせいいっけい)という世襲の決まりがあります。

これは、天皇の後継は男系男子でなければならないという決まりです。

過去に女性の天皇は何人もいましたが、その女性天皇の子供は、男であっても女系男子であることから天皇にはなれず、必ず男系男子の天皇に戻っています。

このことを指して、万世一系と呼びます。

では、なぜ男系男子でなければならないのでしょうか?

それは、上述したような日本人が農耕民族であることと密接に関わっています。

農耕民族が何よりも重要視するものとして、「種」があります。農作物の「種子」のことです。

天皇家でも、やはり「種」が最重要と考えられてきたのです。

天皇家の種を持つ女性天皇は許されても、女系天皇が許されないのは、女系天皇は父親(種)が天皇家の系譜の外の人物ということで、天皇家の種を持っていないからです。

それを許すと、以後違う種の系譜になってしまうということですね。

つまり、植物になぞらえて、天皇家は一つの種を守っているということになります。

古くから農耕民族の間では、男は種であり、女は大地であると考えられ、種が大地に植えられて育つものと認識されてきたことから、天皇は万世一系でなければならない決まりになり、それが現代まで脈々と受け継がれているというわけです。

武士と天皇・朝廷との関係の謎

江戸時代以前の天皇を中心とする朝廷は、基本的に上記のような祭祀を主に執り行っているだけの存在で、政治の実権は握っていませんでした。

江戸以前の武士の世の中(鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代)で実権を握っていたのは、一部の例外を除いて幕府のトップである征夷大将軍でした。

つまり、天皇という存在は非常に微妙な地位であり、これらの政治権力者が武力を持って天皇を攻め滅ぼすことも十分可能だったにもかかわらず、誰もそうしなかったのです。

そうすることで、自分が天皇を名乗り、朝廷を乗っ取ることさえできたのにです。

お隣、中国大陸では、王朝が変わるたびに皇帝一族が滅ぼされ、それに代わって滅ぼした側の頭目が皇帝の座に就ています。お隣中国だけでなく、ほぼ世界中で王朝が変わる際にはそのように変わっています。

普通に考えるとそれが普通のような気もしなくもありません。が、日本では全くそういうことは起こりませんでした。

この謎については、未だに「日本人の国民性」という以外に説明されていません。

天皇、及び朝廷は、やはり時の権力者たちにも侵すことの許されない聖域のような存在だったのでしょう。

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明治時代以降の国難と天皇

が、その流れが明治維新後一変します。

明治維新の際、薩摩と長州を中心に組織された新政府軍は、天皇親政を目指し、結果的にそれを実現しました。

それまで700年以上にわたり政治の実権を担ってきた武士の世は終わり、再び天皇を中心とした政治体制が復活したのです。(王政復古)

しかしながら、これは、良くも悪くも天皇の存在を利用した結果だったといわれています。

良くも悪くもというのは、まず、実際にペリーの来航以来、日本は国難に直面しており、欧米列強に侵略されるかどうかの瀬戸際で、天皇を中心に団結する必要があった、団結するしか道がなかったということが挙げられます。

またその一方で、「尊王攘夷」を謳い、上述の『古事記』の世界観を盲信し、急進的な排外主義や天皇主義が一部の武士たちの間で流行となり、上述したような「現人神」「天皇は神である」という極端な思想に取憑かれた向きもあり、それが戦争の時代に突入していく大義に利用されたのも事実でした。

しかしそれらは、一概に良いか悪いかは判断できず、結果的に日本が国難をなんとか乗り切ったのだから良かったとする見方もある反面、明治以降行われた戦争責任を、実際に戦争の意思決定を行った者たちが天皇に転嫁するような行為だったなどとして非難する見方もあります。

特に、第二次世界大戦・太平洋戦争の責任問題を巡っては、昭和天皇に戦争責任があるといった意見まであり、世間一般にも、なにやら天皇が戦争の意思決定に加担していたかのような印象まで与えるに至ってしまいました。

また、上記のような農耕民族らしいおだやかな、日本古来の信仰である神道の天皇崇拝が、極端な思想の持ち主、「右翼」といったような意味合いで認識されるに至ってしまったのは、明治維新以降の「天皇利用」が原因だともいえるのです。

天皇の証・三種の神器

天皇は、その持ち物として代々受け継がれている三種の神器(さんしゅのじんぎ)というものがあります。

八咫鏡(やたのかがみ)八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)草薙剣(くさなぎのつるぎ)の3つになります。

八咫鏡と草薙剣はそれぞれ、伊勢神宮と熱田神宮に御神体として祀られていて、皇居の宮中には形代(かたしろ)と呼ばれる代わりのものが祀られています。

ただし、皇居にあるものの、天皇も皇族の人々も誰一人実際に見たことがないのだそうです。

草薙剣は、別名を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といいます。

天皇の住まい

天皇の住まい・住居は、第50代の桓武天皇が794年に長岡京・平城京の順に遷都してから代々京都に皇居(京都御所)がおかれ、天皇が住んでいました。

東京の現在の場所(江戸城趾)に皇居が移されたのは明治2年(1869年)のことです。

ちなみに、桓武天皇によって京都に都が移される以前は奈良の平城京が都であり、平城宮に移って来られたのは初代の神武天皇です。

神武天皇は九州地方から奈良(大和)に移ってきたと言われています。(神武天皇の東征)

まとめ

いかがでしたでしょうか?

子供に分かりやすく解説する参考になりましたでしょうか?

結論として、もしも筆者が「天皇とは何なのか?」ということを子供に簡単に説明するとしたら、「天皇っていうのは何だかわからないけど偉大な存在だ」もしくは「偉大な存在とされてる方だ」と答えるでしょう。

そして、その「なんだかよく分からない存在」の理由を、なんとなくあれこれ説明します。

事実、天皇には何だかわからない部分が多すぎることでもあります。

また、その何だかわからないものを「神」と呼ぶなら、天皇を説明するということは神を説明することと同じことなのではないかとさえ思いますし、また、この「神」は一神教の神=創造主ではなく、多神教の神だからこそ説明しにくいものとも思います。

ですから、そのようなモヤモヤした説明にならざるを得ないのではないでしょうか。

皆さんも頑張って子供に説明してあげて下さい。

次の天皇、次の皇太子は誰?

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