村山談話、小泉談話とは? 河野談話との違いは? わかりやすく簡単に解説(全文あり)

■村山談話、小泉談話とは

村山談話、小泉談話は、それぞれ第二次世界大戦・太平洋戦争の敗戦から50年、60年の節目を迎えた年に、当時総理大臣だった村山富市、小泉純一郎両総理により発表された談話です。

この2つの談話の共通点は、太平洋戦争(大東亜戦争)をはじめとする日本による過去のアジア諸国への植民地支配や侵略戦争の責任を認め、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明したところにあります。

村山談話以前には、終戦記念日に日本の総理大臣からそのような談話が公式に発表されたことはありませんでしたが、 戦後50年を迎えるに際して、折悪しく自民党が、長年敵対政党だった左派の社会党と連立を組むという特異な状態にあり、総理大臣の座に就いていたのが社会党党首の村山富市氏だったことからこのような談話を発表してしまうという事態に至ったのでした。

そして、それ以後の歴代総理大臣が、この村山談話の内容を踏襲するか否かをいちいち表明しなければならないという状況を招いたのです。

小泉談話については、そのような経緯から村山談話を引き継ぐという意味合いで、村山談話の内容をなぞるように表明されたものです。

ちなみに、この村山談話と並んで悪名高い「河野談話」とは、河野官房長官により発表された談話で、こちらは捏造が明らかな「慰安婦問題」に対する謝罪を行ってしまった談話です。

また、総理大臣談話と官房長官談話という点でも相違があります。

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■反省と謝罪の必要性はあるのか? 国民的な問題点について

以上のような経緯で発表された村山談話、小泉談話ですが、終戦記念日に改めて「反省・謝罪」を表明する必要があるのかどうかという問題については日本国民の間でも賛否が別かれています。

戦後、多分にアメリカの統制下にあった日本において、戦争に勝ったアメリカやヨーロッパ諸国にばかり都合の良い、歪んだ教育を受けた世代の人々は、「反省と謝罪」は当然だという考えを持つ方が多いようです。

ですが、敗戦から相当の年月が経過し戦争の記憶が薄れるとともに、当時の(幕末から第二次世界大戦敗戦までの)日本の置かれていた状況を客観的に認識できるようになった世代を中心に、「日本はいったい何を反省し謝罪すべきなのか?」という根本的な疑問にようやく直面するに至りました。

そして、そのような世代の国民からは、過去に戦争に巻き込まれた日本の近代史をふまえた上で、反省も謝罪もする必要はないのではないかという意見があがっています。

また、これらの世代の「いったい何を反省し、謝罪するのか?」という疑問に、戦後の歪んだ教育を受けさせられた世代がまともな回答を示せない点も問題だと言えます。

つまり、反省とお詫びの気持ちはあるが、いったい何を反省し謝罪するのかという具体的な事実についての知識がはっきりしないようでは、反省にも謝罪にもなっていないのではないか、という率直な疑問が生じるというわけです。

反省と謝罪をするにしろしないにしろ、国民はまず、当時の日本がどのような状況下にあり、当時の日本人たちはどのように感じ、考えたうえで戦争の時代に突入していったのかを知るべきだというわけです。

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村山談話の全文 (外務省ウェブサイトより)

「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)

先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。(1995年8月15日)

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