アメリカ・サンフランシスコ市で、2017年11月、市民団体が市に寄贈した「慰安婦像」と「碑文」を、市側が正式に受け入れることになりました。
この慰安婦像と碑文はすでにサンフランシスコ市の公園に設置されていますが、これでアメリカの大都市の公共施設としては初となる慰安婦像の設置になってしまいました。(既に慰安婦像の設置されているカリフォルニア州グレンデール市とジョージア州ブルックヘブン市は小さな都市です)
これを受けて、吉村大阪市長がさっそく同市に「姉妹都市の解消」を申し入れました。
安倍首相も、同市のエドウィン・リー市長に像の受け入れを拒否するよう抗議を行っています。
日本人としては、なぜわざわざこんな禍根を残すような像を設置するのか?と疑問でなりません。
こんなものを設置したところで、誰が得をするのでしょうか?日韓だけでなく、日米の関係にも水を差すだけなのではないでしょうか?
では、その疑問を少しでも軽減するために、慰安婦贈設置に至った経緯などを詳しく見てみましょう。
サンフランシスコ市は慰安婦像をなぜ設置するに至ったのか?
実をいうと、この像の設置を推進したのは、韓国系ではなく、中国系の民間団体でした。
実際、この像が設置されているのは、サンフランシスコ市の中華街のなかにある公園で、元々は民有地でしたが、その民有地ごと市に寄贈されました。
設置や寄贈に至るまでの経緯をまとめると次のようになります。
2015年9月 サンフランシスコ市のエリック・マー市議という中国系市議が中国系の民間団体とともに慰安婦像等の設置を市議会に働きかけて、全会一致でその案を採択する。
この採択以前の8月には、決議案が審議されていることを知った当事の大阪市長、橋下徹氏が、それらの碑文の内容等が事実であるのかどうかを確認すべきとする書簡を同市に送付している。
2016年12月1日、ソウル市はエドウィン・リー(Edwin M.Lee)サンフランシスコ市長を名誉市民に選定し、名誉市民証を授与した。
特に2016年は二つの都市が1976年5月に姉妹都市を結んでから40周年になる年で、2016年9月にバク・ウォンスンソウル市長が米訪問時にサンフランシスコで40周年記念ソウルの日公演を開催し、これに対する答礼訪問としてサンフランシスコ市長のソウル市訪問が実現した。
–SEOUL METROPOLITAN GOVERNMENTより引用
エドウィン・リー(Edwin M.Lee)サンフランシスコ市長、「ソウル市名誉市民」に選定 2016/12/05
碑文の文言は?
「私たちにとってもっとも恐ろしいことは、第二次世界大戦中の私たちの痛ましい歴史が忘れられてしまうことです。」—元「慰安婦」
この記念碑は、一九三一年から一九四五年まで日本軍によって性奴隷にされ、「慰安婦」と呼ばれたアジア太平洋地域十三ヵ国にわたった何十万人の女性と少女の苦しみを表しています。その女性たちの大多数は、戦時中囚われの身のまま命を落としました。この暗い歴史は、生存者が勇敢に沈黙を破った一九九〇年代まで、何十年も隠されていました。生存者たちの証言が世界を動かした結果、戦争手段としての性暴力が人道に対する罪であり、加害国の政府が責任を負わなければならないと国際社会が宣言することとなりました。
この記念碑は、これらの女性たちの記憶のために捧げられており、世界中での性暴力や性的人身売買を根絶するために建てられたものです。
ーーWikipedia「慰安婦像」より引用
この文言が、英語、韓国語、フィリピン語、中国語の4カ国語で書かれています。
一番問題なのは、「性奴隷」の表現や全くなんの根拠もない「何十万人の女性」という部分です。
また、「生存者が勇敢に沈黙を破った一九九〇年代」とありますが、そもそも1990年代にそれらの話をでっちあげたのは、朝日新聞をはじめとする日本人でした。
⇒慰安婦問題とは? 朝日新聞は何をしたのか? わかりやすく解説
これらの問題を作り出した「諸悪の根源」のが日本人自身だということに非常な歯痒さを感じます。
が、サンフランシスコでも、日本人、及び日系人の団体が抗議活動を展開しています。
今回のサンフランシスコは残念でしたが、他の地域でも是非頑張って頂きたいと思います。