「朝日新聞」と聞くと、「捏造」「虚偽報道」という言葉が同時に連想される人も多いかと思います。
どこの新聞でも誤報というものはあるもので、スクープを急ぐあまり事実確認を怠って誤報になることなどは他の新聞でも時々あることです。
が、朝日新聞の「誤報」は、そういった他の新聞のものとは一線を画す、悪意といってもいいような政治的、イデオロギー的な偏見に満ちており、あまりにも恣意的で悪質なために記憶に強く残るのでしょう。
そんな朝日新聞の誤報・虚報の中から、ひときわとんでもないものを厳選して一覧にまとめました。
1982〜2014 「従軍慰安婦問題」に関する数々の報道
朝日新聞は1982年に、吉田清治という元軍人が、戦時中、軍の命令で、済州島で朝鮮人女性を強制連行し、慰安婦にしたという証言を行ったとの報道をしました。
その後、吉田は『私の戦争犯罪ー朝鮮人強制連行』という書籍を出版、朝日新聞は、そこに書かれていることがまるで事実かのように報道し、鬼の首を取ったように報道し続けました。
しかし、10年後、1992年の調査で、吉田の証言は全くの事実無根であり、フィクションであったことが明らかとなり、吉田自身もそれを認めました。が、その後も朝日新聞は過去の報道を訂正もしなければ、謝罪もしないまま報道を続けました。
また、それだけではなく、1991年には、慰安婦と、戦時中に勤労奉仕のために動員された女子挺身隊とを混同した明らかな誤報があったにもかかわらず、それをそのまま放置しました。
2014年8月5日、ようやく朝日新聞は吉田清治の著作を元にした報道が全く事実に基づいていなかったことや、女子挺身隊との明らかな混同などを認め謝罪と訂正を行いました。
つまり、30年以上にわたって虚偽報道が行われ続けたわけです。その間、国連などの機関も巻き込んで、ソウルの日本大使館前に慰安婦像が建てられるなど、日韓関係は悪化の一途をたどっています。
こここまでくると、単に誤報として謝罪と訂正で済む問題なのか疑問です。
→さらに詳しく知りたい方はこちら「慰安婦問題とは?朝日新聞は何をしたのか?」
1989.4.20 サンゴ礁記事捏造事件(KY事件)
朝日新聞記者の本田義郎が、沖縄県西表島にある世界最大級の「アザミサンゴ」と呼ばれるサンゴ礁に、「K・Y」というイニシャルを自ら刻みこみ、「サンゴ汚したK・Yってだれだ」などと、日本人のモラルの低さを強調した記事を書いきました。
「サンゴ汚したK・Yってだれだ」
これは一体なんのつもりだろう。沖縄・八重山群島西表島の西端、崎山湾へ、長径八メートルという巨大なアザミサンゴを撮影に行った私たちの同僚は、この「K・Y」のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。(・・・)
日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の……。 にしても、一体「K・Y」ってだれだ。
その後、地元のダイビング組合からアザミサンゴにそんな傷はなかったとの苦情が入り、朝日新聞はしぶしぶ会見を開くが、碌に調査もせず、カメラマンの「(元々あった傷を)ストロボでただこすっただけ」という主張を擁護。
が、その後の調査の結果、全く傷のなかったところに記者が自ら傷をつけた虚偽報道であったことを認めて謝罪。
本田義郎は懲戒解雇となり、関係者も処分され、当時の朝日新聞社長も辞任に追い込まれる事態となり、皮肉にも朝日新聞の捏造体質を世に示す記念碑的な事件となってしまいました。
完全に日本人を貶めようとして書いていると思わざるを得ませんね。
この一連の事件が、日本人の多くに「朝日=捏造」のイメージを与えることになりました。
1959〜1984 北朝鮮帰国事業に関する報道
かつて、在日朝鮮人らの北朝鮮への帰国を支援する「北朝鮮帰国事業」というものがあり、マスコミはほぼすべてが「北朝鮮は地上の楽園である」との認識からこの事業を支持、協賛してもいました。
1959年12月に第一便が新潟から北朝鮮へ出航。マスコミは、朝日新聞も含め、これらを素晴らしい人道的な事業であるように報道しました。
が、その後、北朝鮮から逃げ出した、いわゆる「脱北者」というものが注目を集め、北朝鮮は「楽園」などではなく、むしろ「地獄」であったことが判明します。
マスコミ各社は、これと同時に論調を変え、北朝鮮帰国事業への支持もやめて北朝鮮の内情を報道するようになりました。が、朝日新聞は、そのような事実が判明してもなお北朝鮮の内実を報道しませんでした。
「社会主義国は楽園であってほしい」という願望から、そのような事実を直視できなかったのだと思われます。
1984.10.31 旧日本軍毒ガス作戦報道
1984年10月31日の朝刊一面で大々的に朝日新聞が報じた「旧日本軍毒ガス作戦」の、原野に巨大な煙がもくもくと立ち上る写真が、のちの産経新聞の調べで、毒ガスなどではなく、ただの煙幕であることが判明。
その後、訂正記事は書いたものの、肝心の「毒ガスではなかった」という部分は曖昧なまま、「作戦の場所が違っていた」というなんだかよくわからない表現で読者を煙に巻きました。
2005.1.12 NHK番組改編報道
2001年のNHKの慰安婦に関する報道番組に対し、当時の安倍晋三内閣官房副長官と中川昭一経産大臣がNHKに圧力をかけていたとする報道を2005年になって朝日新聞が報道。
NHKはこれに対して「圧力はなかった」と発表。
朝日新聞が委託した調査委員会も「朝日新聞の取材が不十分だった」と断定しました。
これについて朝日新聞は会見を開いて取材が足りなかった点を認めたものの、けっきょく記事の訂正と謝罪はしませんでした。
2014.5.20 「吉田調書」に関する誤報
2014年5月20日、朝日新聞は2011年の福島原発事故について、当時福島第一原発の所長だった吉田昌郎氏による事故調査報告書(いわゆる「吉田調書」)には、「震災四日後には所長命令を無視し、福島第一所員は九割が逃げ出した」と報道。
命令無視によって職員が退避したことを東電が隠蔽しているとし、さらに吉田氏が2013年に死去していることから、政府や東電はそれをいいことに事実を隠しているとまで書き立てました。
この報道があった翌6月、週刊ポストにて門田隆昌氏が、「吉田調書」にそんな記述はないと批判し誤報を指摘するも、朝日新聞は確かな取材に基づいていると反論し、逆に訂正と謝罪を門田氏に要求する事態に。
しかしその後、8月になって、産経新聞が「吉田調書」を入手しますが、朝日の報道にあったような記述はなく、誤報であることがはっきりしてしまいます。
そこに至ってようやく朝日新聞は、当時の社長が会見を開き、誤報を認めて訂正と謝罪を行いました。
けっきょく、前年に吉田氏が死去していることを都合よく利用していたのは朝日新聞の方だったというオチです。
参考:月刊Hanadaセレクション『財務省改竄文書報道と朝日新聞誤報・虚報全史』/飛鳥新社