日本共産党は何が危険なのか?何がヤバイのか、わかりやすく簡単に解説

そもそも「共産党」とは

そもそも「共産党」とは、20世紀初頭、ロシアで、世界にさきがけて共産主義化に成功したロシア革命の際に生まれた政党です。その後、その「ソビエト共産党」の指導のもと、世界を共産主義化するために世界各地に支部となる「共産党」が設けられました。(日本共産党もその支部の1つとして設立しています。)

そのため、どの国の「共産党」も、ロシア革命をお手本に自国で共産主義革命を起こし、その地域を共産主義化することを目標に活動を開始しました。

が、それらの「活動」はきわめて非人道的で、世界中の地域で甚大な被害を出しました。

世界中でおこった共産主義化運動の被害の大きさを、犠牲者数で具体的に表すと、ざっと次のようになります。

・ロシア革命とその後の粛清での犠牲者:約5000万人
・中国共産党による文化大革命での犠牲者:約6500万〜7000万人
・そのほか東ヨーロッパや東南アジア、中南米などの地域
数万人〜百万人規模の犠牲者を出す革命が多数勃発

第二次世界大戦の被害者の総数が世界中でおよそ5000万〜8000万人であったことから、「共産党」による共産主義革命は、世界大戦よりも多い被害者を出していることがわかります。

更にいえば、共産主義の実施による犠牲者のほとんどが「民間人」であることも特筆すべきでしょう。

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世界ではどのように受け止められてきたのか?

以上のような被害の大きさを受けて、20世紀中頃より、世界中で「共産党」が非合法化され、活動そのものが禁止されるに至ります。

アメリカ『NYタイムズ』の調査によると、1954年の時点で、「共産党」を非合法化している国は、アメリカ、韓国など、40ヶ国にものぼっています。

つまり、共産主義のあまりにもひどい暴挙に対して、主要な先進国を中心に多くの国で、憲法などによって「共産党」を禁止する国が続出するほどの警戒感をもって受け止められたのです。

21世紀になった現在では、「共産党」が国会に議席を有している国はフランスと日本だけで、フランスでは日本ほど多くの議席は有しておらず、党名変更を考えているほど危機的状況にあります。

要するに、世界中で日本ほど活発に「共産党」が活動している国はないと言っていいほどであり、日本は「共産党」および共産主義への警戒心が薄い国だと言えるのです。

ちなみに、世界では、「共産党」並びに共産主義は、ほぼナチス(ナチズム)と同じか、地域によってはナチス以上に危険視されており、警戒心を持って受け止められているのです。

では、その「危険」がどういったものなのかをもう少し解説しましょう。

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世界各国で「共産党」が禁止される理由

「共産党」が禁止される理由は単純です。

それは、「共産党」が独裁政権を樹立し、自由と民主主義を脅かすからです。

ドイツは憲法(ドイツ基本法)で「共産党」を禁止している国のひとつですが、では、その一例としてそのドイツ基本法の条文を見てみることにしましょう。

【ドイツ基本法】第21条

第1項 政党は、国民の政治的意思形成に協力する。その設立は自由である。(以下略)

第2項 政党で、その目的または党員の行動が自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、または、ドイツ連邦共和国の存立を危くすることを目指すものは違憲である。(以下略)

以上のように、第1項で政党を結成する自由を認めていますが、第2項で「自由で民主的な基本秩序」を脅かす政党は認めないものとして除外しています。

ドイツ憲法裁判所では、「共産党」の掲げるマルクス・レーニン主義がこの第2項に違反すると判断し、「共産党」は憲法違反とされています。

これはドイツの例ですが、概ね「共産党」が非合法とされている国ではどこも同様に、マルクス・レーニン主義が是とする「独裁政権の樹立」が民主主義を脅かすとの判断から、禁止するに至っているのです。

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日本共産党も独裁する気なのか?

では、日本の「共産党」はどうなのでしょうか。

上述したようにロシア革命の後、世界中にできた「共産党」のひとつで、日本では非合法化されていない日本共産党は、独裁をする気なのでしょうか?

結論から言いますと、日本共産党も、独裁を目指していると見て差し支えありません。

日本共産党は、結党当初から一貫して「独裁を目指す」旨を、「独裁」という言葉を用いてはっきり言明していました。(詳しくは後述します。)

が、昭和48年ごろから「独裁」という言葉は使わなくなり、綱領上でも、一般の国民が意味を理解できないややこしい表現に書き換えて現在に至っています。(この部分の解説は、このページの最下部あたりにあります。)

仮に、独裁を諦めたのであれば、「独裁はしない」と表明すれば済むはずですが、はっきりと表明したことはありません。

「独裁」だけでなく、「暴力革命」路線も同様に言葉をはぐらかして、それらの言葉をはっきりと使う事は無くなったものの、それらをするのかしないのか、目指すのか目指さないのかをはっきりと言わなくなったことから、それらの方針は依然として堅持しているとみなされています。そのため、現在でも公安警察の監視対象団体となっているのです。

そして、日本共産党、および共産主義の危険性は、この「特殊な言葉遣い(レトリック)」にあるといえます

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共産主義者の言葉遣いには注意が必要

再び世界の話に戻って、そもそもの話をします。

そもそも、「共産党」や共産主義は、なぜ憲法で禁止する国が続出するほど世界中の人々を不幸のどん底に叩き落としてきたのでしょうか?

それは、ひとえに、「言っていることとやっていることが全く違ったから」だといえます。

そもそも共産主義というのは、民主主義から派生した一つの思想で、その理念は我々一般の日本国民が信じるところの民主主義の理念と表面上はまったく同じです。

つまり共産主義も、自由、民主、平等、人権等の理念・理想を掲げているのです。

ですが、よく考えてみてください。

そもそも、共産主義の王道的政治手法である「独裁」が、自由で、民主的で平等で、人権を尊重したものだといえるのでしょうか?

通常の、民主主義を尊重する感覚で言えば、選挙を行って政権を担当する政党を選ぶというのが、自由で、民主的で、平等で、人権を尊重した政治制度であるはずです。

その部分が民意を政治に反映するための要であるともいえるでしょう。

しかし、共産主義者の感覚はそうではないのです。

その感覚なくして我々が普通に考えるような民主的な判断ができるでしょうか?

つまり、彼らのいう「自由」も「民主」も「平等」も「人権」も、それらは表面上、言葉は一緒でも、我々が一般的に使用する、辞書にある通りの自由でもなければ、民主でも平等でも人権でもないのです。

彼らは、通常の字義とは異なる、独自の解釈、独自の意味合いで使用しているというわけです。

歴史的に見て、以上のような言葉遣いの違いがわからず、彼らの扇情的な言葉遣いに感情を煽られた多くの人々が「自由」や「民主」「平等」「人権」などという彼らの言葉を信じて「革命」を支持した結果、革命前の体制よりも酷い、地獄のような社会になってしまったわけです。

そのような言葉遣いの違いが大きな悲劇を生んだ結果、世界中で「共産党」が非合法となったというわけなのです。

つまり、「共産党」の非合法化という諸外国がとってきた方針は、そのような欺瞞に満ちた言論を結党の段階で封じたものとみていいでしょう。

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日本共産党の注意すべき言葉遣い具体例

では再び話を日本に戻して、日本共産党の注意すべき言葉遣いについてみていきましょう。

■「戦争」

彼らがよく使う言葉の一つである「戦争」について、まず見てみましょう。

憲法改正などが取りざたされるたびに「戦争反対」「戦争法案反対」などと言っては国会前に集結したり、イラク戦争や湾岸戦争時に、アメリカ大使館前などにも集結して、彼らは、あたかも自分たちは世界平和を願う集団であり、世界から戦争を無くそうとしているかのように、猛烈に「反戦」をアピールしています

が、実際に戦争を招きかねない中国共産党の艦艇による日本の領海侵犯問題や、韓国軍による自衛隊機へのレーダー照射問題、北朝鮮によるミサイル発射問題に対しては、積極的に糾弾するどころか、まったく声をあげないこともあれば、反対を表明しても日本政府やアメリカに対するほどの熱が感じられません。

別段よく観察しなくてもわかることですが、彼らの「戦争反対」という声はまったくもって平等に発せられていないのです。

つまり、彼らはただ自分たちの敵を攻撃するときにだけ「戦争」という強いインパクトのある言葉を使っているのであって、間違っても彼らは、ありとあらゆる戦争を世界から無くそうという、世界平和を願う団体ではありません。彼らには、本当の意味での(辞書に載っている字義通りの)反戦意識はないということです。

この点も注意して彼らの言葉を受け止めるべきでしょう。

■「革命」(「改革」)

彼らの念願である「革命」という言葉についても、「戦争」を見たついでに考えて見ましょう。(ちなみに、最近では「革命」という言葉を使わずに「改革」というソフトな言葉に置き換えられています。)

そもそも、上述したように、「革命」では世界規模の戦争(世界大戦)と同等の死者を出しています。

この「革命」を党是としている時点で反戦意識がかけらもないことは明らかですが、つまり、共産主義化のために行われる戦争・内戦については彼らの感覚にかかると「革命」「改革」という美名に置き換えられ、正当化されてしまうわけです。

これは、自分たちの行為はどんなに非人道的であっても正しいものとするという、共産主義者の大きな特徴を表した言葉だといえるでしょう。

これは非常に危険な感覚でしょう。

■「人権」

「人権」は、彼らが大好きな言葉の一つといえるでしょう。

が、これも「戦争」と同じです。

彼らの言動をよく観察すると、自分たちの敵が行なった人権侵害にだけ猛烈に反対しますが、自分たちの敵ではない勢力が行うものに対しては、ほぼ完全にスルーです。

その最たるものは、国連でも取り上げられている世界の代表的な人権問題である、中国共産党によるチベット、ウイグル、内モンゴルにおける人権弾圧です。

共産党の機関紙、しんぶん赤旗のチベット問題に関する記事を読むと、ただ中国共産党の発表をそのままなぞっただけの冷淡な記事になっていて、この問題に関してはできれば触れたくないという意識が透けて見えます。

慰安婦問題などの記事に見られるような熱は全く感じられません。

また、これらの地域の人々は、日本に救いの手を求めてたびたびやってきていますが、そういった人々を無視しているのが日本共産党なのです。

つまり、彼らは「戦争」という言葉と同様に、世界から人権侵害をなくそうという意識などさらさらなく、「人権」という言葉を、政争の具に使っているに過ぎないということなのです。

■「ヘイトスピーチ」「差別」「平等」

以上のように、彼らの大きな性質的な特徴として、「敵を明確にして悪のレッテルを貼り、その敵を攻撃する」という所にあります。

具体的に言えば、日本共産党の敵はおおむね、自民党やアメリカをはじめとする「共産主義が歴史的に敵とみなしてきた勢力(西側諸国)」そのものです。

彼らの言葉遣いはあくまでも、「そのような敵を攻撃して敵から権力を奪う」という行動指針、行動原理を前提になされています。

つまり、彼らは敵と味方を差別することが前提であり、それが彼らの平等意識なのです。

「ヘイトスピーチ」という言葉も、日本人が韓国人や中国人に対してしたヘイトスピーチは「ヘイトスピーチ」として糾弾しますが、韓国人や中国人が日本人に対してしたヘイトスピーチに対しては糾弾どころか非難しているところすら見たことがありません。

そこにははっきりとした差別ともいっていいような区別があることは明らかです。

そんな彼らが「差別」を糾弾したり、「平等」を主張したりする言葉をどのように受け止めますか?

しょせんはカギカッコ付きの「差別」「平等」でしかないのではないでしょうか。

以上のような言葉遣いは、日本共産党だけでなく、日本の左派全般に言えることです。とくに、日本共産党と共闘関係にある野党も同じような言葉遣いを駆使していますので、彼らの言動によく注意してみるといいでしょう。

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左派の言葉遣いの弊害

以上見てきたように、日本共産党をはじめとする左派の言葉遣いは、非常に偏った、およそ民主主義的な理念とは程遠いものですが、それは今に始まったことではなく、戦後を通じて行われてきました。

たとえば、街中で「反戦」を掲げている人を見たり、「あの人は反戦的な人だ」という言葉を耳にして何を思い浮かべるでしょうか?

おそらく、一般の国民であれば「左翼」とか「共産党」とか、そういった思想的に偏った人のイメージでしょう。

ようするに、「アメリカや日本政府にばかり「反戦」の声をあげて、中国や北朝鮮には寛大な人々」というイメージです。

しかし、そもそもほとんどの国民が本当の意味で反戦的なはずです。

誰も戦争などを望んでいないし、世界が平和になったらいいなと思っているはずです。

ですが、日本国内ではすでに「反戦」という言葉自体が、共産党や左派の人々の偏向した言葉遣いに染まってしまっていて、普通に反戦を語れない状況になっています。

「反戦」だけではありません。

人権や自由、平等、平和なども同様に左翼用語としての、カギカッコ付きの「人権」「自由」「平等」「平和」として、偏った意見の持ち主の使う言葉のようになってしまっていて、一般には誤解を恐れて非常に使いにくい言葉になっています。

これは大きな弊害です。

こうなってしまったことによって、戦争や平和、自由や平等について主張することが一般には難しくなってしまったからです。

例えば、「反戦のために憲法9条を改正するべきだ」という意見もありえますし、そういう理屈も一考の余地があるはずです。

が、左翼によって、「憲法9条を守ることが『反戦』の基本である」「9条改正を主張する勢力は、戦争賛美の右翼である」というようなレッテル貼りが行われ、そのようなイメージが浸透することによって、国民の間で議論が進まず、戦争や平和について深い考察ができないという状況が生まれています。

また、左派がそのような言葉遣いに終始することで、政権批判にも説得力がなくなっています。

共産党をはじめとする左派が政権を批判しても、「またあいつらがギャーギャー批判してる」という程度のイメージしかもたれず、必要な時に正しく政権を批判できない、という事態にもなっています。

つまり、反戦を唱えたり、政権を批判したりすると、左派の言葉遣いと勘違いされて「左翼なのではないか」「共産党なのではないか」と思われるため、言えない、もしくは言葉を選ばなければならない、という事態が起こっているのです。

これは共産党をはじめとする左派の言葉遣いの弊害といってもいいでしょう。

そのように考えますと、憲法で「共産党」を禁止した国は、独裁を防ごうとしたという目的以前に、そうすることで健全な言論空間を守ろうとしたのではないでしょうか。

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ではここからは日本共産党について詳しく解説していきましょう。

以下は、さらに日本共産党のことが詳しく知りたい方のみお読みください。

日本共産党とは、そもそもどのような政党なのか?

日本共産党は、日本の共産主義化・社会主義化を最大の目標に掲げた政党です。これは、党の綱領やホームページにもはっきりと書かれています。

また、同党の綱領には「日本の共産主義化」のプロセスとして、「民主主義革命」と「社会主義革命」という二つの革命を実行に移す旨がはっきりと書かれています。つまり、日本共産党の目指す革命は、「第一段階」と「第二段階」の二つの革命によって行われる予定だということになります。

この「日本共産党はいまだに日本を共産主義化しようとしている」ということと「そのために二段階の革命を想定している」という二つの事実は、この日本共産党という政党を知る上で、国民が知るべき最も重要な事項になります。

では、次にそれが重要な事項である理由を解説しますが、そのまえに、日本共産党の歴史を簡単に振り返ってみましょう。

日本共産党という政党は日本で一番古い政党として戦前結党されましたが、昭和の中頃までは非常に暴力的な集団で、はっきりと暴力により共産主義革命を行うこと(暴力革命を行うこと)を表明していました。

当時は、党を離党した党員を殺害したり、デモを取り締まる警察官や機動隊に火炎瓶を投げつけて殺害するなど、凄惨なテロ行為をたびたび行っていました。

そのせいで昭和30年代になると、国民から極度に白眼視されるようになり、国会での議席をすべて失うという由々しき事態を迎えたことで、日本共産党は、それまでの暴力的なイメージを払拭するため「ソフトイメージ路線」と呼ばれる、現在国民がよく知るような「過度に平和的なイメージ」の党に生まれ変わったのです。

それが昭和40年代のことでした。

日本共産党はそのイメージの払拭に伴い、党の指針が書かれている「綱領」等も次々書き換えていきました。が、その最終的な目標である「日本の共産主義化・社会主義化」をはじめ、内容自体はまったく変わっておらず、変わった点と言えば、例えば「独裁」という危険なイメージを喚起させる言葉を他のソフトなイメージの言葉に置き換えたりなど、「イメージ」のみを一新していったのでした。

その結果、欺瞞的な体質を強めていった日本共産党でしたが、そのように必死に党のイメージをソフトにする方針の末に生まれたのが現在の「二段階の革命」というシステムなのです。

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二段階の革命システムは、国民を欺くためのシステム

日本共産党は上述の通り、日本の共産主義化・社会主義化を目指している政党です。

しかし、この党が選挙時などに、街頭演説等で「日本は共産主義化されるべきです」とか「日本共産党は日本を社会主義化します」とようにはっきりと党の目標を掲げて宣伝しているところを見かけた国民は皆無と言ってよいでしょう。

それは、「共産主義化・社会主義化」という言葉が、日本共産党に対するイメージの悪化と国民の警戒心に繋がりかねないために、同党がこれまでそのようにイメージの悪化を招く言葉ははっきりとは口にしない方針を貫いてきたためです。(ただし、党のホームページ等にははっきりと日本を共産主義化すると書かれています)

つまり、この党は、はっきりと自分たちの目的を表明することなく、国民にソフトなイメージを与えることで党を存続し勢力を拡大してきたというわけです。

そのような戦略が、「ソフトイメージ路線」なのです。

では、もう少し詳しく見てみましょう。

二段階の革命システムは、そのような「ソフトイメージ路線」を終了するシステムだと言えます。(※昨今「革命」という言葉を避け、「改革」というよりソフトな言葉を代用するケースが多々見られています)

つまり、今現在、日本共産党が国民との間で約束している「ソフトイメージ」な政策についてはあくまでも第一段階の革命(民主主義革命)までの約束で、第二段階の「社会主義革命」時に、それらの約束はすべて反故にされる可能性の高いものであるということなのです。

例えば、同党は、日本国憲法を護る、いわゆる「護憲派」の党として有名ですが、それはあくまでも「第一段階の革命」までの約束で、それ以後に日本共産党は、独自の憲法を作成し日本国憲法は破棄する予定を立てています。(この点については詳しく後述します)

「護憲」が、そのように第二段階の革命時に反古にされることになる「国民との約束」の代表例ですが、その他に重要なものとしてあげられるのが、天皇制の容認、であり、選挙制度の実施になります。

「ソフトイメージ路線」以前の日本共産党は、はっきりと革命後の独裁政権の樹立(選挙制度の廃止)と、日本国憲法および天皇制の廃止を堂々と掲げていました。

が、それらはすべて「ソフトイメージ路線」以降、綱領やその解説本の中で、違うソフトなイメージの言葉に置き換えられ、国民が一読しただけでは何を言っているのか分からないような言葉で温存されてきたのです。

つまり、二段階で革命を行うというシステムがある以上、どのような日本共産党の発言も、すべてその二段階目の「社会主義革命」時に破棄され、それ以降まったく異なる政策が行われる可能性がある、ということなのです。

上述の「共産党アレルギー」は、このような共産党の欺瞞的な体質に対する不信感やいかがわしさに由来しているといえるのです。

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選挙制度等がなくなる可能性をわかりやすく解説

ここからは、上記のような日本共産党の「体質」のうち、致命的な点を

「1)二段階革命の意義」
「2)日本国憲法についての立場」
「3)天皇制についての立場」
「4)独裁政権樹立による選挙制度の廃止」

にしぼり、具体的に見ていきたいと思います。

1)「二段階の革命」の意義について

まずはじめに見ていただく資料は、平成16年1月の党大会で、当時、党の実質トップだった不破哲三氏が、綱領改定の「提案報告」というもののなかで引用した論文の抜粋です。

「マルクス・レーニン主義は、暴力革命がさけられないと見なされる場合においても、現実にその国に革命的情勢がうまれない時期に、蜂起や武装闘争のスローガンをもてあそぶことを、けっしてゆるさなかった。(……)
そして、(……)革命を準備する時期に、革命党が力を集中すべき最大の任務は、「暴力革命の思想的、政治的、組織的準備」などに単純化されるものではけっしてない。それは、正しい政治的指導力とプロレタリア的規律をもち、広範な勤労大衆とむすびついた強固な前衛党を建設することであり、労働者階級の階級闘争のあらゆるあらわれを指導し、労働組織活動や議会活動、ジャーナリズムの活動をふくめ、社会活動のあらゆる形態、あらゆる側面を利用しつつ、広範な人民大衆を教育し、組織することであり、そして、「ほんとうにすべての階級」「勤労し資本に抑圧されている人々のほんとうに広範な大衆」が、自分自身の政治的経験をつうじて、革命を支持する立場に達するようみちびくことなのである。」
「日本共産党重要論文集5」P76〜77

ややこしい文章ですが、ここには国民を欺く理由がはっきりと書かれています。

これによると、「革命」を遂行するまでの期間を、「革命を準備する時期」と「革命情勢の時期」とに区分し、その2つの時期で全く別の戦略を用いるということが書かれています。

これは、要するに、「革命情勢の時期」の準備段階と、革命の機が熟した後とではまったく違う方針を立て、党が本当に実現したいことは第二段階目の革命までははっきりとした態度に表さないこと、そして、あらかじめ国民に警戒されかねないように第一段階の革命が成功するまではそれらを国民に隠蔽し、第一段階の革命が成功した暁には、その「本当に実現したいこと(共産主義化)」までが信任されたものとみなすことが書かれているわけです。

また、後半部分に、国民を「教育し」「革命を支持するようにみちびく」と書かれていることからも、この党は、国民の声に耳を傾け、国民の意思を反映した政治を行おうというのではなく、それとは逆に、「自分たちの理想が正しいものである」と国民に植え付け、誘導しようという意図がはっきりと読み取れます。

このようにして国民を欺き、扇動する姿勢が、日本共産党という党の、日本国民に対する態度の本質であると言えます。

2)日本国憲法についての立場

ご存知のとおり、日本共産党は、現行憲法である「日本国憲法」を「平和憲法」などと呼んで賞賛し、自民党などが掲げる「憲法改正」に強く反発することで「護憲」の立場を明確にしています。

綱領にも、日本国憲法の「全条項を守る」などと書かれています。

このように日本共産党は、国民の前ではあたかも現行憲法を死守する立場であるかのように振る舞っていながら、以下のように、裏では一段階目の革命と二段階目の革命の間で「日本国憲法」は廃棄し、独自の憲法を持つことを明言しています。

「より進歩的な社会をめざしている党であるならば、日本の社会が新しい歴史的段階に前進したときには、より民主的な憲法の必要を展望することは当然でしょう。
以上の立場からわが党は、将来日本が独立、民主、平和、中立の道をすすみ、さらに社会主義日本にふさわしい憲法をもつ時期がくるという、歴史的な展望をもっています。 」

「民主連合政府綱領についての日本共産党の提案」につて
「前衛」臨時増刊1974・No.363

このような目標を掲げているのであれば、日本共産党は「護憲」の立場ではなく、むしろ極端な「改憲」の立場ということになります。

現行憲法を破棄し、独自の憲法を作るというのは、方向性は違いますが、石原慎太郎氏のような急進的な改憲派の考えと一致するところです。

しかし、これもやはり同党は、国民に警戒心を抱かれたくない一心で、一時的に「護憲」を装っているというわけです。

これは、比較的分かりやすい同党の二枚舌の例と言えるでしょう。

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3)天皇制についての立場

では次に「天皇制」についてです。

日本共産党は、以前までははっきりと「天皇制は廃止する」と公言していました。が、平成16年の綱領改定時に「天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきである」などと、一見天皇制を容認するかのような立場をとるようになりました。

しかし、この部分をもう一度よく読んでみてください。

「その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきである」と言っています。

つまりこれは、逆に言えば、政権を担った日本共産党が「情勢が熟した」と判断した場合には天皇制は廃止すると断言していることにほかならず、それ以前はあまり極端な発言で悪目立ちしたくないため、とりあえず天皇制を認める振りをする、と言っているわけです。

これもまさに同党が、「一段階目の革命前と二段階目の革命後ではまったく違う政策を実行する」ということをそれとなく示した分かりやすい例になります。

4)独裁政権の樹立による選挙制度の廃止

日本共産党は、「ソフトイメージ路線」以前には、自分たちの目指す政治形態を「独裁」という言葉を用いて、あからさまに表現していました。

当時用いていた具体的な文言を紹介しますと、その独裁政権樹立のことを、「プロレタリアート独裁」と表していました。

これは、共産主義・社会主義国のどこでも共通している認識で、労働者階級(プロレタリアート)が革命により政権を奪ったあとは、労働者階級の敵である資本家階級(ブルジョワジー)が政権を奪還しにかかる可能性を排除するために、労働者階級が独裁政治を行うのが理想であるという考え方が表れた言葉になります。

日本共産党も当時、まさにこの考え方を採用しており、また、その考え方は現在に至っても堅持しています。

といいますか、そもそも共産主義・社会主義の根幹は、この「独裁政権を樹立することによって権力を労働者階級が握り、資本家階級の搾取から身を守ること」にあると言っても過言ではないため、独裁政権を樹立しない共産主義などというものは、まずありえないのです。(世界中に、公正な選挙を行う社会主義・共産主義国はひとつも存在していません。)

そして、その労働者階級の代表が共産党ということになるため、事実上「共産党の独裁政治」の実現が正しいということを日本共産党は現在でも念頭に置いているのです。

共産党は、党のホームページなどで、さらっと共産主義国家を目指すことを明言していますが、それは「共産党による独裁政権の樹立を目指す」ことと同じことであり、そのように明言している共産党を支持するということは、共産党による独裁を認め、国民から選挙権が剥奪されることに同意したようなものなのです。

同党のホームページには、社会主義的変革(第二段階の革命)以後も議会制民主主義を貫くなどと言葉を濁して申し訳程度に書かれていますが、上記のような理由から信用するに値しないでしょう。

日本共産党は、ソフトイメージ路線以降、この「プロレタリアート独裁」という言葉を、「誤解を与えかねない」という理由から、綱領の上で、昭和48年に「プロレタリアート執権」に置き換え、さらに昭和51年には「労働者階級の権力」に、そして平成16年の綱領改訂時には「社会主義を目指す権力」という言葉に置き換えて今に至っています。

しかし、これは、表面的な言葉が変わっただけで、そもそもの「プロレタリアート独裁」と同義であり、つまり、共産党の独裁政権の樹立が最終的な目標であることにはなんらの変更が加えられていないのです。

この「共産党独裁」という目標こそが、ある意味で日本共産党が一番国民に知られたくない事実だと言えるでしょう。

ですから、日本共産党が政権与党になり、その中心を担うようなことがあった場合には、選挙制度そのものが廃止され、共産党の独裁政権が誕生し、国民は選挙により民意を示す機会が失われることになりかねないのです。

<参考文献>
→『日本共産党の正体』福冨健一著
→『欺瞞に満ちた日本共産党 おおい隠された革命政党の本質』

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