天皇機関説とは? 天皇主権説との違いは? わかりやすく解説

明治維新により江戸時代が終わり、混沌の中から確立した近代日本が、一近代国家として船出をするにあたって、日本という国にとって「天皇」という存在をどのように解釈し、位置づければいいのかという問題に直面しました。

そこで生まれたのが「天皇機関説」という考え方でした。これは、大日本帝国憲法下での「天皇」の意義や権限に関する憲法解釈学説の一つになります。

この天皇機関説は、「天皇主権説」という考え方と対立関係にあり、天皇主権説を採用する論者の側からは不敬であると非難を受け、喧々諤々の議論が戦わされました。

ちなみに、昭和天皇は、天皇機関説を支持しておられたことも有名です。

では、その内容についてわかりやすく解説しましょう。

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天皇機関説と天皇主権説

まず、天皇主権説から見ていくことにしましょう。

天皇主権説では、天皇を絶対権力者である主権者と見なし、天皇の下に国家が存在していると捉えることで、天皇の完全なる支配下に議会や内閣を位置づけました。

つまり、天皇は国家に属する存在ではなく、国家を超越した存在だと言うことです。

それに対し、天皇機関説では、「天皇」は国家に属する一機関と考えるわけです。
一機関というのは、例えば、警察が国民の安全を守る一国家機関である、というように、何かの役割を持った組織といったような捉え方です。

この考え方を提唱したのは、美濃部達吉という憲法学者でした。

美濃部は、国家をひとつの法人とみなし、主権はあくまで法人たる国家にあって、天皇を議会や内閣と同様の国家機関の一つとして解釈しました。

そして、天皇をあらゆる機関の中での最高機関と位置づけ、内閣や議会は最高機関を輔弼(ほひつ)する補助機関と解釈したのでした。

ですから、「不敬」と言われるほど「天皇」の存在を軽視したわけではないのです。といいますか、天皇の存在を敬う気持ちは「最高機関」とする点によく現れているといえ、むしろ、社会の実情に合わせて良く練られていたのは、天皇機関説の方でした。

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天皇機関説と社会の実情

では次に、これらの考え方が明治日本の社会の実情にどのように体号したのか、人々に受け入れられたのかを見ていきましょう。

天皇主権説では、国家の意思決定は天皇の意思決定ともなってしまいます。徴収した国税も、天皇の個人財産となるという考え方でしたので、実情に合うものではありませんでした。

また、国家が戦争の意思決定をすれば、同時に天皇の意思決定でもあることになるので、全責任が天皇に集中することになってしまいます。

これも実情に合わないものであり、この解釈を採用すると内閣や議会の意思決定を行った実際の責任者が、天皇にその責任をなすり付ける可能性さえあるわけです。

一方、天皇機関説は、国家の下に天皇を置くものですから、国家の責任は、国家の機関がそれぞれ受け持つものとなりますので、天皇の責任は一機関としての天皇の責任に限られることになります。

こちらのほうが、大日本帝国憲法下での政治の実情にかなうもので、無理のない解釈であったと言えます。

ただ、これは当然といえば当然で、そもそも天皇主権説は、天皇を国家を超越した存在=現人神として捉えるのであり、社会の実情を重視するのではなく、その超然たる価値観を重視して国家を運営しようという考え方なので、実情にそぐわないことが多々あったのは当然といえるのです。

というわけで、大日本帝国憲法下では、当初、天皇主権説が有力でしたが、次第に天皇機関説の支持者が増えていき、やがてこちらが有力となりました。

しかしながら、1932年の犬養毅首相が暗殺されるという事件が起こって、天皇主権説が再び台頭してしまいます。

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昭和天皇が天皇機関説を支持していたということは…

上述の通り、昭和天皇自身は天皇機関説の支持者でした。

ですから、皮肉なことに、昭和初期には、天皇を絶対視するはずの天皇主権説の論者は、天皇の意思に背いていることになったのです。

天皇主権説に与する者は、天皇の権限を絶対視しながらも、天皇の意思をないがしろにし、独善的に振る舞う者であったということになり、これは一考に値する事態でしょう。

天皇機関説は、政治の実情に合い、善用可能な穏健な解釈であり、天皇主権説は、政治の実情に合わず、悪用されもした過激な解釈でした。

そもそも、日本の長い歴史を顧みて、天皇主権説に合致するような天皇絶対権力の時期は、古代を除いて殆どなく、日本の伝統的国体でもなかったのです。

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